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シュガースパイス・ビターハニー​

 今日の運勢、牡牛座は最下位だった。朝のテレビニュースでも、ケータイのアプリでも、どれも今日は最悪の一日だと言っていた。「予期せぬ人との出会いにご注意を! あなたの知られたくないことがバレちゃうかもね!」なんて、そんな他人事みたいに言われたところで。俺には何もできっこない。いつも通り、おとなしく、決められた皮をかぶっていればそれでいいと思っていたのに。

 占いってのは、嫌な時ほどよく当たる。

「あれ、カイチョー?」

「……人違いです」

 学校の最寄駅から電車で三十分、家とは反対方向のほどほどにさびれた住宅街。そんなところでまさか、その呼び名を聞くことになるなんて。ああ、全く。なんだってこんなところに。

 しかも一番会いたくないタイプの人間に。俺は出会ってしまったんだろう。

「いや絶対カイチョーじゃん。生徒会のバッヂつけてるし」

「あ、いや、これは」

「なにそのメガネ、変装? こういうのなんていうんだっけ、えっとさー、ほら、あの……頭隠して……」

「店先でこれ以上は言うな!」

 自分と同じ詰襟には、一つ下の学年を表す青い学年証が付いていた。そうか、二年生か。それにしてはどうにも発言が幼稚だ。語尾を伸ばす話し方も、場所をわきまえない発言も、どれも俺が大嫌いなものだ。

 だが今ここであまり強いことは言えない。静かにオルゴールが響く店内は、あまりに口論には向いていない場所だった。つやつやと光るイチゴが乗った白いクリーム、季節んタルトがふんだんに盛り付けられた焼きたてのタルト、卵とカスタードだけで作られた色の濃いプリン、様々な形をしたクッキー。そんな、砂糖と生クリームで作られたような雰囲気に、俺たちの黒い制服はただでさえ浮いている。

 

「なあなあ、カイチョー」

「……それで呼ぶな」

「じゃあ、朔ちゃん?」

「ちゃん付けもやめろ!」

「わがままだなぁ」

 唇を尖らせられるがそんなの知ったことではない。さっさと用事を済ませて早くこの場を後にしたい。しかしその前に、ここで出会ったことを誰かに吹聴されてしまっては意味がない。どうしたものか。

 

「おい、七里光太郎」

「なんで俺の名前知ってんの」

「名札をつけっぱなしだ、馬鹿者」

「あ、ほんとだ。朔ちゃんすげーな」

「だからちゃん付けは……! ああもう、この際どうでもいい。いいか、ここで俺と出会ったことは」

 絶対、誰にも言うなよ。

 そう続けようと思った言葉は、七里の馬鹿でかい声にかき消されてしまった。

「あ、俺このパフェが食べたい! 一緒に食ってこうぜ!」

「……はぁ?」

 これだから、バカは嫌いなんだ。

 それを断れない自分も、大嫌いだ!

 

 

◇◇◇

 

 

「うわ、うまそう! なあ、そっちのって何味?」

「……チョコバナナ」

「後で一口ちょーだい!」

 大きなグラスに盛り付けられたたっぷりの生クリームには新鮮なバナナが綺麗に飾られていた。その上から贅沢にチョコレートソースがかかっていて、どこから食べようかつい迷ってしまう。細くて長いスプーンを手にして、アイスを一口掬ったところでようやく本来の趣旨を思い出した。

 甘いものを前にするといつもこうだ。だからこうしてわざわざ遠い場所まで来ているのに。

「朔ちゃんさー」

「横山」

「へ?」

「名字だよ。なんでさっきからそんな変な呼び方をするんだ」

「だって呼びやすいじゃん。朔ちゃん」

「馬鹿にしてるだろ、お前!」

「してないしてない。あ、それでさ。朔ちゃんはなんでこんなとこにいんの?」

 結局呼び方は変えてもらえなかったし、俺の言ったことは綺麗に流されてしまった。なんだこいつ。髪は校則ギリギリまで伸ばしているし、明らかに明るい色に染めている。いや、地毛なのかもしれないけれど。それでも大きく少し垂れ気味な目や、長いまつげや、コロコロと変わる表情はそこだけ光が差した様に眩しく思えた。

 ああ、俺とは正反対の人間なんだ。違う世界に住んでいる、光の当たる道を歩む、自由で気ままな人間なんだ。そのことになんだか無性に腹がたつ。別に七里が悪いわけではないけれど。

「さくちゃーん?」

「……なんだっていいだろ」

「まあ、そうだけど。あ、でもここのタルト美味いよな。俺もよく買うんだけどさー」

「わかる。季節ごとにフルーツが変わるのもポイント高いよな」

「そうそう! 今はチェリーだっけ。あれ超人気で早い時間にこないと買えないってのが辛いけどさー。偶然置いてたら間違いなく買うね」

「ちょっとあっためるとまた味が変わって……って! そうじゃない!」

「へぇっ!?」

 危うくこいつのペースに流されてしまうところだった。俺は別に七里とタルト談義をしたいわけではないのだ。いや、楽しいけど。うっかり色々と話し出してしまいそうだったけど。

 今大事なのは季節限定数量限定のチェリータルトではなく、なぜ、こいつが、ここにいるのかということだ。この街から高校に通っている生徒は確かいなかったはずだ。それに乗り換え駅というわけでもない。大きなショッピングモールもないし、あるといえば錆びれかけた商店街と大きな病院くらいだ。

「いいか、俺とここで会ったことは誰にも言うなよ」

「別にいいけど。なんで?」

「何ででもだ! いろいろと問題なんだよ!」

「お堅く真面目で、常に成績トップ、曲がったことは大嫌い、暴君とも噂される生徒会長様が、こんな可愛くてファンシーなケーキ屋さんにいることの何が問題なわけ?」

「それだよ! まさにそれだ!」

「えぇ〜」

 別に、学校での自分が偽りだとは思っていない。自分の性格が頑固で融通が利かないというのもよくわかっている。暴君というのは聞き捨てならないが、まあそれくらい口うるさくいろいろと言っているからしょうがないのかもしれない。そうでもしないと、あの学校はどうしようもなかったのだから。

 絶対に隙を見せてはいけない。常に完璧でいないといけない。たとえそれが毎週行われる小さなテストだとしても、俺は必ず満点をとらなくてはいけなかった。そうでもしないと、威厳がなくなり誰もいうことを聞いてくれないと思っていたのだ。

 校則通りに切り揃えた黒い髪、折り目正しく着込んだ重たい詰襟、汚れひとつないローファーはいつだって俺の鎧になっていた。

 それをまさか。こんな形で剥がされるなんて。

「まーでも確かに、最初はびっくりしたけどさぁ。朔ちゃん、「ブラックコーヒー以外絶対に飲みません」って顔してんじゃん」

「どんな顔だ、それは。あと今の真似は全然似ていないぞ」

「え、完成度割と高いと思ったんだけど。あ、でもさ。さっきケーキを見てる時の朔ちゃん、すごい俺は好きだったけどね」

「好っ……!? 何言ってんだお前!」

 聞きなれない言葉に思わず声が上ずる。それでもどこ吹く風といったように七里はパクパクとパフェを食べていた。のんきな奴め。

 放っておくと溶けてしまうから、俺も同じように食べ始める。大きく切られたバナナと生クリームを一緒に口に入れると、途端に甘い味が広がった。濃厚で熟す直前のバナナはしっかりと濃い味がする。そこに甘すぎず、かといって物足りなさを感じさせない絶妙な加減で作られた生クリームが混ざるとより濃厚な味わいがした。ベルギー産のチョコで作られた自家製のソースにはかすかにラズベリーが混ぜられており、程よい酸味がますます味に奥深さを出していた。

 ああ、幸せだ。甘いものは何てこんなにも人間を幸福にさせるのだろう。これのために日々俺は生きているといっても過言ではない。いや、過言だけど。

「さーくちゃん? そんなに美味い? 大丈夫?」

「んぐっ、んん……っ! 問題ない、続けろ」

「問題大アリでしょ。いやでも、ほんとーに甘い物好きなんだね。俺のもちょっとあげよっか?」

「……後で一口くれ」

「リョーカイ。やっぱさぁ、普段からそういう顔してる方がよっぽどいいよ」

「はぁ?」

 スプーンを持っていない方の手が伸ばされて、俺の眉間をツンと押した。突然のことにぎゅっと目を閉じてしまう。ぐりぐりと円を描くように撫でられて、それから小さく笑う声も聞こえてきた。

「いーっつもここに皺寄せてさ。難しそーなこと考えてんじゃん。それはそれで必要なんだろうけど、今みたいに「うまーい!」って顔してる方が見てるこっちも楽しくなるっていうか」

「……それは、まあ」

 少し癖のある明るい髪が、ふわりと揺れていた。もしここが学校だったらきっと俺は七里のことを叱っていただろう。なんだその髪色は、しかも長さも。制服のボタンはちゃんと閉めろ、敬語を使え。そう言って、あくまで生徒会長としての立場を振りかざしていただろう。

 でも今、こうやってなんの縁か二人で向かい合って座っているとそんなことは欠片も思わなかった。俺は今まで、学校のためと思って様々なことをやってきた。それでも本当は、そこにいる生徒を人間としてきちんと見ていなかった気もする。ただ目の前にある欠点やルールから外れたものだけを見てきただけなのかもしれない。

 もしもそうだとしたら、俺は何て嫌な人間なんだろう。

「俺はバカだから朔ちゃんが何考えて、何やってるかなんて正直ちょっとしかわかんねーけどさ。わざわざこんな遠いところまで、しかも変装までして甘い物食うくらいには甘党なんだってことはわかったよ」

「それだけかよ」

「うーん、あとは案外可愛いとか?」

「男に向かって可愛いはないだろ、気持ち悪い」

「そうかなぁ。俺、よくクラスの女子から言われるよ? かわいーって」

「バカにされてんだよ、気づけよ」

 そっかぁ、なんて言いながら七里は笑うから、つられて俺も笑ってしまって、それから二人してバカみたいに笑っていた。こうやって笑うのは一体いつ以来だろう。少なくとも生徒会長という肩書きを背負ってからは一度も心から笑った記憶はない。

 笑うことはこんなにも心地が良いのかと、当たり前のことにようやく気がついた。

 

​◇◇◇

 

「そういえば」

 ようやく落ち着いた頃に、ふとあることを思い出した。すっかり空になったグラスを前に満足そうにしている七里に声をかけると、パチリと瞬きをする。まるで羽根のように長い睫毛だ。これは確かに、女子から人気がありそうだ。

「なーに、俺に聞きたいことでも?」

「ああ。お前、この辺に住んでるわけでもないだろう。なんでここに」

「あー、それ。それね」

「……?」

 それまで弾むように話をしていたのに、突然言葉に詰まったようになる。困ったように頰を掻いたり、忙しなく視線がさまよったり。明らかに返答に困っているようだ。

 別にそこまで深い理由があったわけではない。ただ単純に、気になっただけだ。だがそのただならぬ様子に何かが引っかかる。しかし無理に言わせるのも趣味ではないし、果たしてどうしたものか。

「いや、言いにくいなら、別にいいんだが」

「うーん、そだね。別にそういうわけでもないんだけど……あ、そうだ!」

「な、なんだよ」

 何かを閃いたように目を輝かせる様を見て、まるで風のような男だと思う。冷たいかと思えば急に強く吹くし、静まったかと思えばまたすぐに激しく動き始める。それでも頰を撫でる心地は気持ちが良くて、いつまでも吹いていて欲しいと思ってしまう。

 不思議な男だと、つくづく思う。

「もしまたこの店であったらさ。そしたら一つ、質問していいよ」

「なんだそれ。そんな頻繁にいるのかよ」

「うーん、そうでもないけど。でもほら、だからいいじゃん。楽しくない?」

 きっといつもの俺なら「何を馬鹿なことを」と言って切り捨てていただろう。そんな確証めいたことは何一つもなく、おまけに一つだけなんて。それで何を知れというんだ。そんな暇があったら予備校に行って、勉強でもしていた方がよっぽどいい。

 そういうはずなのに。出てきた言葉は随分と素直なものだった。

「じゃあ……また今度、会った時に」

「うん! その時はチェリータルト、あるといいね」

 屈託無く笑う七里に、やっぱりお前は馬鹿だなというと、よく言われるんだとまた笑う。そういえば占いの最後に「悪いことが続きますが、きっと一日の終わりにはいいことがあるので、それまで頑張れ!」とか書いていた気もする。

 なるほど、占いは悪い時ほどよく当たる。

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